中学生作文 例文集 このページは中学生のための作文例文集です。 5回目は、「美しいと思うもの」です。 |
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問題 「美しいと思うもの」について、あなたの考えを述べなさい。
序論 [一段落目] 自分が美しいと思うものにはどんな条件があるか。 本論 [二段落目] 一段落目に提示したことについての説明。 [三段落目] 具体的な例や体験を挙げながら、意見を展開する。 [四段落目] 結論・まとめ 例文1 これまで生きてきた中で、「きれい」とか、「かっこいい」とか思った物や人や景色などはいくつかありますが、「美しい」とまで言えるようなものは、正直あまり思い当りません。それに、「美しい」なんて言葉を使うのはかなり恥ずかしく、勇気がいります。そこで、あくまでも一般的にはどんなものが「美しい」とされるのかについて書いてみますが、「美しい」ものとは整っているもので、「醜い」ものとは散らかっているものではないでしょうか。「美しさ」の条件は、「普通」に比べて相対的に整っていることだと思います。 もちろん、この条件に当てはまらないものもあるかもしれません。例えば、年老いた老人が釣りをしているところを描いた水墨画とか、ぼろぼろの廃墟となったビルを映したモノクロ写真などが、芸術作品として評価されていたりします。実のところ、僕には芸術の事なんかほとんどわかりません。だから、芸術作品を見ても意味不明なものの方が多いです。それでも、今挙げた例は、実際僕自身が見て「いいな」と思った作品です。老人や廃墟などは、失礼ながらはっきり言って醜いものなので、「美しさとは整っていること」という条件のリアルな反例になっていると思います。しかし、一般的に言えば、「美しい」とされるものの例は、圧倒的に整っているものの方が多いはずです。前に出した老人の絵や廃墟の写真の例にしても、何かが他と比べて整っているからこそ、僕も「いいな」と感じたんだと思います。 身近な例として、整理整頓されている机の上や部屋の中と、散らかり放題になっている机や部屋を比べたら、誰でも何の照れや恥じらいもなく、前者を「美しい」と言うことができるでしょう。そう思って周りを見ると、散らかっている本棚や、汚れているトイレなどは醜く、その逆はたいてい「美しい」と感じられます。観光地にあるような美しい風景とかも、山並みとか町並みなど、何らかの形できれいに整っているのだと思います。富士山はごみがいっぱい散らかっているから世界自然遺産になれなかったと聞いたことがありますが、散らかっているなら、きれいに片づけてしまえばいいわけです。そうすれば、机も部屋も富士山も、美しさを取り戻すはずです。といっても、顔の形などの場合、散らかっている人は美容整形とかに行かなければ整えられないので、そう簡単に何でも整えられるわけではないかもしれません。 散らかった顔を整えるのはあきらめるとしても、机や部屋は整えられるので、僕も身の周りを美しい状態にしておけるよう努めたいと思います。 例文2 美しいなんて思うことはめったにあるもんじゃない。というか、普通はたいてい美しくない、と思う。それでも一つだけ言えるのは、美しいと思うものは、ただ美しいと思うから美しいんだ、ということだ。何かと比較したりして、「これはあっちより美しい」なんて言うのはばからしい。私が美しいと感じることが、美しいものの唯一の条件だと思う。 世の中には、ミスコンやフィギュアスケートのように、美しさを競い合う大会などがある。そういうのをテレビで見ても、いったいどういう基準でこっちの人があっちの人より美しいとされるのか、いつも理解できない。私がいいと思った方が負けることもよくある。そういう時は、自分の感覚が否定されているみたいで、なんだか少し腹立たしい。でも、気にすることはないんだろう。美しいかどうかなんて、比べられるものではないからだ。私が美しいと感じなければ、何かの大会で一位になったものであろうと、そこに美しいものなんて存在しない。美しいという思いは、私の中で起きる現実で、他の人が決めたものなんて意味を持たない。 私が小学校の五年生の時の教頭先生は、頭の禿げた太った人で、そのくせ生徒にやたら厳しい怖い人だったので、正直みなに嫌われていた。私も嫌いだった。デブぎつねと呼んでいる子さえいた。目が細く、いつも鋭くにらんでいるような目つきで、とても威圧感があったというか、近づくと怒られそうで、実際怒られている子もたくさんいた。 その年の運動会の予行練習でのことだ。六年生の競技に組体操があった。いくつかの演技の後、最後の方で四層ぐらいのタワーを作ろうとしていた。二層目、三層目と組み上がり、四層目の子が立ち上がろうとした時、それが崩れた。と同時に、折り重なって倒れていた六年生たちの塊に、誰よりも速く駆けつけるデブぎつねの姿があった。そして、生徒たちを一人ひとり大事そうに介抱していた。やがて、彼は一人の男子をおんぶして、走って校舎の中に消えていった。けがをしたのはその男子一人だけだったようで、予行練習はそのあとも続いた。予行練習の終わりに、保健室から帰ってきていた教頭先生は、短く「けがをしないように」とコメントした。その姿が、今も印象に残っている。 その日のデブぎつねは美しかったと思う。その後、私は教頭先生のことが嫌いではなくなったが、だからと言って美しいと感じることはもうなかった。あれはあの日だけのことだが、一瞬でも美しい姿を見せることのできる人は、カッコいい人だと思う。 |
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例文1 例文2 |