小論文例文集 このページは中高生のための小論文の例文集です。 4回目は、「車は一家に一台」です。 |
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問題 「自家用車は一家に一台以下にするべきだ」という考え方について、まず肯定か否定かを述べ,具体的な例をあげながら自分の意見を論理的に述べなさい。 (600字〜800字) 序論 [一段落目] 話題の導入&問題提起 本論 [二段落目] 対立する意見への譲歩&自分の意見の提示 [三段落目] 意見の展開(自説の根拠・理由) [四段落目] 文章の締め・まとめ 例文1 <自家用車一家に一台 反対派> 地球温暖化を防ぐため、または都市の交通渋滞の激化を抑えるため、「自家用車は一家に一台以下にするべきだ」という意見が述べられることがある。私はこの意見に反対である。 確かに、地球温暖化や交通渋滞を防ぐために、自動車の絶対量を増やさないという考え方は有効なものだと思う。自然環境と社会環境の悪化は防ぐべきだろう。しかし、この主張は、自動車以外の交通手段に恵まれている大都市圏に住む住民に向けたものとしては適当だと思われるが、他の交通手段に乏しい地方の住民にとっては、自分たちの生活を無視した受け入れがたい提案だと言えるだろう。地下鉄など走らず、バスも一時間に一本しか通らないような地方においては、自動車は一家に一台どころか、成人に一人一台必要とされている。一家に一台では、家族の一人が車で仕事に行ってしまうと、残りの者たちは買い物にも病院にも行けなくなるのだ。 北海道や東北地方などでは、車がなければ仕事にも買い物にも病院にも行けないということは容易に想像がつく。鉄道が走っているのはかなり限定されたエリアだけだし、その他の広大な土地を移動するには、大人であれば一人一台の車が欲しくなる。北海道や東北に限らず、大都市圏の郊外へ一歩出てしまえば、実のところ状況はそれほど変わらない。現代人は、地方にいても、あるいは地方にいるからこそ、長距離を移動する手段を必要とする。都会に比べて、自然環境に与える負荷の量がそれほど高くない地方の住民が、都市民が大量に放出する排気ガスや浪費する電力の穴埋めに、保有する車の量を制限されるというのでは、筋が通らない。 以上の理由で、自動車の保有量を一家に一台と制限するのは、大都市の住民に限るべきだと私は考える。地方住民の生活に不可欠な自動車を、制限させることは、現実的に不可能であろう。 例文2<自家用車一家に一台 賛成派> 現代は自動車社会だ。世界中の多くの大都市で、毎日交通渋滞が発生している。そんな状況の中で、「自家用車は一家に一台以下にするべきだ」という意見が述べられることがある。私はこの意見に賛成である。 確かに、現代生活に自動車は欠かせない。特に地方では、車以外に交通手段がないような地域が多く、一家に一台では生活どころか生命活動に支障をきたすことにもなりかねない。いざという時、病院に行く足の所有を禁じられていたために命を落とすなどということは、受け入れがたい。しかし、それにしても大都市には車が多すぎる。自動車の過密状態は、交通渋滞だけでなく、交通事故の発生率も高める。それは、排気ガスによる空気汚染や地球温暖化といった、環境問題ともダイレクトにつながっている。車の絶対量が一定量を越えないような対策を取らなければ、これらの問題は一向に解決することがないだろう。 とは言え、大都市における車の絶対数を抑えるために、渋滞や排ガス汚染の少ない地方にまで同じことを要求はできない。よって、「一家に一台」は都市民の社会モラルとして理念的な目標とするにとどめ、全国に法的強制を執行するような無茶はするべきではない。代わりに、大都市内の中心的なエリアで高めの通行税をとり、車の使用を抑えるようにしたらどうだろう。交通手段は他にもあるのだから、それで人々の生活が脅かされるということはない。車の量が減れば、交通事故も減り、緊急車両が足止めを食うようなこともなくなる。もちろん、環境にとってもいい。また、大都市で通行税を取る代わりに、地方の高速道路料金を下げれば、地方の活性化にもつながるのではないだろうか。 以上の理由で、「自家用車は一家に一台」に賛成はするが、それは大都市民の社会モラルとするにとどめ、実際に行うべき施策としては、大都市内での自動車の通行に対して課税することを提案する。 |
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例文1 <自家用車一家に一台 反対派> 例文2<自家用車一家に一台 賛成派> |