小論文例文集

このページは中高生のための小論文の例文集です。

 

20回目は、「将来の生活と学校の勉強」です。

 

問題 

次の文章を読んで、自由に意見を述べなさい。

 

Hさんはわが子に「学校の勉強は大人になって役に立つの。お母さんは大人になって方程式なんか使うことがあるの?お父さんだって、会社で微分積分なんかやってないでしょう。家では推理小説と週刊誌だけよ。大学で勉強したことなんてなにも役に立っていないわ」と言われて、なんと答えてよいのか分かりませんでした。「将来のためにもっとしっかり勉強しなさい」とお説教していたときに、思わぬ逆襲にあったのです。

たしかに日常生活には、せいぜいおつりの計算ができて、新聞を読むのに困らない程度の漢字を知っていれば差し障りがないと思います。だから子どもにつっこまれると、「余計なことを考えないで勉強しなさい」とか「そのうち使うことがあるかもしれないじゃないの」と強気な発言で押し通そうとするのかもしれません。でも卒業してから使ったことがないわねぇ、これからもあまり関係ないだろうし、やれといわれたからそれをやっただけ、学校を卒業するためや受験のためのことであったというのが本音のところかもしれません。だから子どもに、苦労して覚えたことが大人になってから日常生活に必要なのかと正面きって問われると、ぐっと返事に窮することになるのです。

 

 

序論

[一段落目] 話題についての要約

 

本論

[二段落目] 対立する意見への譲歩&自分の意見の提示

 

[三段落目] 意見の展開(自説の根拠・理由)

 

結論

[四段落目] 文章の締め・まとめ

  

 

例文1 <意見① 将来、学校の勉強は役に立たない

 

私も勉強をしていて、テストのために百人一首や元素記号の丸暗記などをしていると、こんなものを覚えて将来の生活に役立つのかとおもうことがある。学校の勉強は将来本当に役に立つのだろうか。そして、将来役に立たないのなら、どうして私たちは勉強しなくてはいけないのだろうか。

 

確かに、小学校で学ぶ読み書き・計算などは実際に日常生活で役に立っており、勉強しておかなくては困るだろう。しかし、中学校で学ぶ方程式や図形の証明問題、国語の文法などは、大人になっても使うことはあまりなさそうだ。

 

そもそも小学校とは、日常生活で必要な知識を身につけさせる場であり、ここで学ぶことがしっかり定着していれば、十分世の中で生きていくことは出来るはずである。仕事に必要な専門的な知識や技術は、働きながら修行して身につけていくもので、大卒でも就職後の勉強や訓練は不可欠である。かつて初等教育と中等教育、高等教育が設定されたとき、国家が義務教育と定めたのは、小学校で学ぶ初等教育だけであった。初等教育さえ受けておけば、近代社会で責任ある行動をしながら、自らの人権を守っていくのに十分な知識は身につくからである。中学校は、地域社会でリーダーシップを取る人材を育成するための場、あるいはさらに専門的な学問を学ぶための基礎を教える場であり、いうなればエリートが学ぶべき知識を身につける場であった。方程式や図形の証明問題、国語の文法などは、まさにそういうエリートになるための知識である。高校は更に上のエリート的知識を得るための学校であり、大学などは学者の行くところであった。

ところが現代では、内容的にはエリートになるための知識を教えていながら、学習に不向きな多くの者たちをも、中学・高校へ進学させる状況にある。中学・高校を卒業することはエリートであることを示すものではなくなり、逆に卒業していない者は、社会的に未成熟な人間であるかのように認識されてしまう。社会生活を送るのに十分な知識は、もう小学校で身につけているにも関わらずだ。

エリートになることを目指していない者にとって、中学・高校で学ぶ事柄は、極論ではなく、本当に必要の無い知識なのだ。それを全ての若者に身につけさせようとする現代の先進諸国の教育こそ、無理があると言える。

 

戦後の日本には、政治家では田中角栄、企業家では松下幸之助や本田宗一郎、作家では松本清張など、小学校しか卒業していない一流の知識人がいた。彼らは、小学校卒業程度の知識が身についていれば、様々な分野で専門知識を学んでいくことが可能であり、社会の中でリーダー的地位につく能力も充分に持ちうることを証明している。よって、社会人たりうる十分な知識を小学校で既に身につけている者が、興味もないのに中学校以上の学校で勉強する必要はないと言える。

 

 

例文2意見② 将来、学校の勉強は役に立ち得る

 

現在私は受験のために、歴史の年号や、たくさんの化学式を丸暗記している。その一方、今までのテスト勉強の経験上、こうやって苦労して覚えた知識もテストが終わればほとんど忘れてしまうことを知っている。では、こうした勉強は無駄なのだろうか。

 

確かに、小学校での読み書き・計算などを別にすれば、歴史の年代や理科の元素記号など中学校以降の学校での勉強には、将来知らなくても生きていくのに困らないようなものがたくさんある。しかし、今まで知らなかったことを知り、世の中の見え方が変わったり見識が広くなったりするようなことがある。進学のための勉強は、しなくてはならない辛いものだが、知ることそのものは、たとえ日常生活で役に立たなくとも、楽しいものであり、人生を豊かにするものだ。

 

かつて義務教育は小学校までだった。社会生活に必要な知識や技能は小学校までの学習で十分に身につけられたからである。中学校では、指導的地位に就く上で必要な知識や、専門分野を学ぶための基礎知識が、教えられていた。今でもその教育内容やレベルは、昔と比べてそれほど大きな差があるわけではない。にも関わらず、中学校までが義務教育とされ、今は高校も義務教育にすべきだという声さえある。なぜそのようなことが行われるのか。その理由は、国家がより多くの優秀な人材を必要としていることと同時に、全ての国民にエリートになりうる機会が与えられなければ、貧富と学歴の有無による実質的な身分制が生まれ、民主主義の原理に反してしまうからだろう。

そのような現代民主国家の事情により、興味も持てない上に自分の将来に役立ちそうもない勉強を多くの若者が強いられているわけだが、だからと言って学ぶことに意味が無いということにはならない。どんな雑学的知識でも、人の生活に役立たないと断定できるような知識はない。ましてや、中学・高校ではエリートになりうるような知識や教養が身につけられるのだ。役に立つ可能性は十分にある。

将来人を指導する立場に立ったり、専門知識が理解できないと処理できないような仕事をしたりしなければならなくなった時、基礎的素養として中学校以上の中等・高等教育が必要となるだろう。戦後には小学校しか卒業していないような知識人もいたが、彼らは勉強しなかったのではなく、中学・高校で学ぶ知識を独学で身につけたということだ。

 

占い師であれ予言者であれ、ある知識がそれを持つ人間の役に立たないと決定する事はできない。人間の未来は予測できない。ある知識が自分にとって必要かどうかは、自分では決められない。将来の状況が決めることだ。興味があるかないかに関わらず、学んだことは役に立ちうるし、学ぶ機会が与えられている以上、その機会を有効に活用しないなら、社会や国家に対する裏切りとなるだろう。

 

 

例文1 <意見① 筆者の考えに同調的(賛成派)

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例文2意見② 筆者の考えに批判的(反対派)

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